一言で最高レベルに人を不快にさせるフレーズ「は?」について
この言葉が出ると一瞬で誰もが不快になる「は?」について考えた
「は?」
この言葉、ネット上のコメントなどでよく見かけます。
私はこの言葉が大嫌いです。
なぜ嫌いなのか、このフレーズは人の心とどう結びついているのか考えてみました。
1.「は?」は驚きや疑問以外の毒が含まれている
相手の言葉を受け止めた後に相手に投げかける最初の言葉が「は?」なのは、悲しいことだと思います。
単純に驚きを表現したい時に使う「ええ!?」とは違いますよね。
俗に言う「煽る」言葉の代表格と言ってもいいでしょう。
相手の神経を逆なでしようとする悪意があります。
人と面と向かって会話している時にはきっと、「は?」はなかなか出てこないのではないでしょうか。
おそらく「ええ!?」「なんで!」「どうして!?」ですませているはずです。
それなのに書き言葉になると、それが「は?」になる人がいます。
つまり使い分けている=悪意を込めている、のです。
目の前にいる人じゃないから容赦なく攻撃してやれ!という、人の悪い部分が出ています。
そもそも「は?」と思っても、それをそのまま書く必要はありません。
「どういう意味ですか」
「私には理解できません」
「あなたの意見には賛同しかねます」
など、簡単に別のフレーズに言い換えられます。
それなのに、どういう意味の「は?」なのかを自分で考えて別の言葉に変換できない、しようとしないのは悪意に心を持っていかれている証拠です。
それはとても悲しい。
2.「は?」は自分を勝たせるための武器になりうるのか
「は?」
このたった一言で相手を不快にできる。
相手を嫌な気持ちにさせたい時にこんなに便利なフレーズはないでしょう。
でも自分の言葉をそんなに雑に扱っても良いのでしょうか。
言葉は練れば練るほど様々な事柄への理解を深め
さらに自分を知る手がかりになります。
しかしそれをせずに自分の理解の範疇を超える事柄に接した時、思考を停止してまるでマシーンのように「は?」と返してしまう。
つまり、自分の理解を越えた世界を理解するための機会を自ら潰しているのです。
確かにプチンときて自然と頭に「は?」が浮かぶ時もあるでしょう。
でもなぜ自分がプチンときたのかを考えることは、自分の成長に繋がります。
自分はどういう人間なのか
相手はどういう人間なのか
世の中にはどういう人間がいるのか……。
それを考えようとせず、
簡単に手が届く武器である「は?」で相手を攻撃して勝ったつもりになる。
それは本当に勝ちなんだろうか。
考えることから逃げた「負け」だと私は思う。
「言葉はその人そのもの」だから、自分の発する言葉を大切に出来ない人は自分を大切に出来ない人だと思います。
まとめ
繊細な内容のブログのコメント欄に「は?」というタイトルのコメントがあるのを見て考えたことをまとめました。
言葉は人と人の関係を築き上げる道具です。
でも、道具にすぎないからこそ使い方が重要になります。
私は「共感」という概念を信じていません。
自分と他者がそっくりそのまま全く同じ気持ちになるなんてありえないからです。
大雑把に嬉しい・悲しい・楽しい・辛いと同じカテゴリに別けるのは可能ですが、共「感」は無理でしょう。
でも言葉で想いを表現して近づくことはできます。
言葉を相手も自分も大切にするための道具にするか、自分の想いをおざなりにしながら相手を傷つけるだけの凶器にするか、それは私達次第です。