なぜ「コミュ障な人向け」にブログを書き始めたのか
なりたい自分と今の自分とのギャップに苦しむ人を応援したい
コミュ障に限らず自分を変えたいと思っている人を、私にしかできないアプローチで後押ししたいと思った。
1.私自身がコミュ障&ぼっちだった
私はグループで行動することもできるけれど、1人でいるのも特に嫌いではない子供でした。
小学二年生の頃には昼休みに友達からの誘いを断って、なぜか1人で教室の掃除をすることにハマり先生を困らせたことも。
友達はいるけれど、学校で1人でいたい時もあるというのは誰しも経験があるのではないでしょうか。
ですが、このころの私はまだぼっち&コミュ障と言い切れる状況ではありません。
大きく変わったのが、思春期を迎える中学時代です。
私の中学は荒れていると地元で有名でした。
当時は麻痺していましたが、中学時代の話をすると「あるある」ではなく「そりゃないだろ!」と言われるエピソードも多いです。
ありがちではありますが、少しでも周囲とずれていると仲間外れにされる可能性が誰にでもあり、雰囲気は常にピリピリしていました。
どんな些細なズレも許されない場だったのです。
そこで私はぼっちという経験をします。
1人でいることに免疫があったのが逆に悪かったのでしょうか。
でも、周囲から孤立していて平気なわけがない。
嫌な思いをして辛い時期もありました。
次第に人と話すのが怖くなり、学校での声の出し方もわからなくなるほどでした。
その上部活や勉強など何もかも中途半端で、人との信頼関係も築けない弱い自分を責めるようになり、どんどん自分を嫌いになっていきました。
2.自分を変えたいと思ってとった行動
暗い中学時代を過ごした結果ぼっち&コミュ障になりましたが、ここで大きな決断をします。
自分を変えると決意し、そのためだけに高校を選び入学したのです。
それが、全国優勝を何連覇もしている超強豪の放送部がある高校です。
全国優勝だなんて、さぞや全国から入部希望者が集まる大きな部だろうと思いますよね。
それがなんと、私を含め全員が未経験者な上に部員は3人。
(実は、放送部でも強豪校は部員が50人以上いるのも普通です)
練習は厳しく休みもありませんでした。
心も体もついていくのに必死でした。
沢山の人に叱られ(怒鳴られることも)、教えられ、感情に触れました。
次第に自分以外の誰かと時間を共有できることを面白いと思えるようになりました。
それでも自分の不甲斐なさに泣くことも多くて。
大会での結果がよくても、自分を変えるという目標を達成できていない不甲斐なさがあったからです。
3.なぜ放送部の活動で「自分を変える」ことができたのか
それは「言葉と声はその人そのもの」だからです。
このフレーズは多くの指導者の方やNHKのアナウンサーの方も口にしていた言葉です。
逆を言うと、言葉と声を鍛えて磨くことで自分は変えられるのです。
大会という場で試されながら言葉と声の鍛錬に打ち込んだ3年間は、今思い出しても楽しい記憶は全くないと断言できるほど苦しかったです。
言葉と声というツールを通して、ひたすらダメダメな自分と向き合う作業の連続だからです。
ただ、あの時に逃げなかったからこそ今の私があります。
4.自分を変えたくて苦しんでいるあなたへ
今苦しんでいのは前に進もうとしているからです。
だから、苦しむことを恐れないでください。
他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる
環境や素質うんぬんもありますが、結局は自分の覚悟の問題です。
一度でいいので自分を変えようと、がむしゃらになってみてください。
まとめ
自分語りになってしまいましたが、私の言葉が実体験に基いていることをわかっていただけたと思います。
私はカリスマになる方法どころか、人気者になる方法すらわかりません。
ただ普通に人と話をすることを楽しいと思えて、相手も楽しそうに自分と接してくれる人間になるちょっとした工夫を、実体験からお話することができます。
私の言葉が少しでも「自分を変えたい」と思っている方のヒントになれば嬉しいです。